文学から歴史を知る [社会探究領域 李郁蕙先生]
こんにちは!
本日は、飛翔96号からの記事です。
今回紹介するのは、総合科学科 社会探究領域 地域研究授業科目群の李郁蕙先生です。
李先生の専門は、中国語圏の地域研究や東アジアの日本語文学。主に植民地時代の日本文学について研究なさっています。
植民地時代は、日本と中国との関係性がいろんな意味で濃い時代だと思います。そんな時代の日本文学には、何が表れているのでしょうか?
それではどうぞ!
もくじ
⾊々試しながら、その経験の中から⾃分のやりたいことを⾒つけて
―先⽣がいつもおもてなししてくれるのってなんでなんですか?
せっかく来てくれた⼈と話しやすい雰囲気を作るために、コミュニケーションのツールとして⾏っているんです。私は毎⽇学校に来て、何らかの形でお茶を飲むんですよ。仕事をしながらカップで⼀杯飲むことが⽇課なんです。⾃分で飲むのも好きなんですけど、皆さんが来る時にこれを出すと話しやすいのでいいですよ。ついでに⽂化教室じゃないけど、実際に体験して中国茶に興味を持ってくれたらいいな、と思っています。それに、これ(本格的な茶器)で飲むと格別でしょう?
―先⽣の研究内容について教えていただけますか?
私は、⽇本がアジアの中で植⺠地⽀配をしていた時期の⽂学を研究しています。学問分野は⽇本語⽂学、もしくは植⺠地⽂学と呼ばれています。最近は授業の関係もあって台湾や中国など中国語圏の⽂学も扱っています。植⺠地⽂学は、⽇本⼈作家の作品と、台湾や朝鮮半島などの植⺠地作家の作品があります。
―普通の⽂学と異なる植⺠地⽂学ならではの点は何ですか?
植⺠地⽂学の⽇本⼈作家には、植⺠地に移住して現地で作品を書く⼈と、旅⾏・短期滞在で⾏って書く⼈がいます。移住の場合は、現地へ仕事をしに⾏ってその傍らで作家活動をします。⼀⽅、植⺠地作家の場合は、少し複雑です。彼らは植⺠地出⾝で⽇本語教育を受けており、⽇本をテーマにした作品を書いている。⾮常に微妙な⽴場ですよね。被植⺠地でありながら、⽀配階級に近い位置づけにいて、⽀配者である⽇本の⾔葉で作品を書くわけです。その分作品には彼らのアイデンティティの問題が普通の⽂学より強く表れていると思います。
―⽂学の内容としてはどういうものがありますか?
抗⽇的であったり、もしくは逆に⽇本⼈に親近感を持ったりとか、そういう内容だけじゃないですよ。例えば、伝統と近代の衝突や、家庭や社会の問題などをテーマにしたものがあります。他にも⾃分は⽇本⼈なのかそれとも植⺠地⼈なのか、その違いをどう定義するか、という植⺠地作家ならではの⼼境を扱う作品もあります。⾊々な題材があるんですけど、総じて⾔えば、楽しい作品は少ないですね。その当時の社会状況や植⺠地⽀配の問題が全部関連付いていますから。
⽂学から読み解く「植⺠地」
―先⽣はなぜ⽂学から植⺠地を読み解こうと思ったのですか?
私は元々本を読むのが好きで、普通の⽂学を研究したかったんです。でも⽇本に来て、植⺠地⽂学に出会いました。それまで私は台湾出⾝でありながら、植⺠地⽂学をよく知らなかった。私の親の世代が⽇本語教育を受けてこんなに複雑な⼩説を書いていたことも知らなかった。⽇本で植⺠地⽂学を読み解くことで、歴史や政治・その当時の社会状況を学ぶことができるというのが私にとって魅⼒的でした。
―研究はどうやって進めていくのですか?
試⾏錯誤ですね。みなさんも漠然とやりたいことはあるけれど、最初からコレがやりたいってのいうのはなかなか決まらないじゃないですか。そこに辿り着くまでに私もすごく悩みます。例えば⽂学を研究したいと思った時、どのジャンルを扱うのか。植⺠地⽂学だけじゃなく、⾊々なジャンルもありますから、まずは⾃分が研究対象と上⼿く付き合っていけるかどうかを⾒極めていきます。 これは⾃分の興味に沿っているのか、⾃分の得意分野なのか、研究対象の視野を広げて、⾃分の性格と相談する。結局すべては⾃分の関⼼次第ですから、辿り着くところは⾃分なんですよ。例えば今こういう研究をしていて、振り返ってみると、 実は私は⼩さいころから、読書感想⽂とかの論説⽂が得意だったんです。私はそこまでアクティブ ではないし、⼈と常に接したいわけではないから、だから先⽣に博⼠課程に進学しないかと聞かれたときにありかもしれないって思ったんです。結局は全部、⾃分の関⼼次第。
―先⽣は何がきっかけで広島⼤学に来られたのですか?
最初は台湾の⼤学を卒業後、⽇本の近代⽂学を研究したいと思い、当時の先⽣と先輩の紹介で広島⼤学に来ました。⾏く⼤学には拘りはなかったし、縁があるところに⾏く感じですね。博⼠課程を終了したら⼤体は⼤学で勤めて研究することが多いんです。だから、私もまずは台湾の⼤学に就職し、⽇本語を教えていました。その後家庭の事情で⽇本に戻ってくる機会があり、⽇本の⼤学で中国語を教えるようになりました。⼤学での仕事を選んだのはもう⼀つ理由があります。私は幼い頃からちゃんと勉強して、将来仕事をして、経済的に⾃⽴するように、と両親にも教えられてきました。その期待に応えるためもあったけど、⾃分でも男⼥の関係なく⾃分の⼒を試して⽻ばたいてみたいと思って、ここまでやってきました。
キャリアと家庭の両⽴
―お仕事と家庭の両⽴は⼤変だったのではないですか?
それは⼤変でしたよ。キャリアを積み上げなければならなかったし、結婚して家庭も持ってみたいという夢もそれなりにあったので。たぶん私は欲ばりなんですね。(笑)そのためにはたくさん努⼒し、折り合いをつけないといけません。広⼤に赴任する前は、ずっと単⾝赴任だったのですが、週末家族と⼀緒に過ごすようにしていました。⾶⾏機だったり、新幹線だったり、交通費はたくさんかかったけど、あまり気にしないようにしていました。そして、そばにいなくても⾃分のできる範囲のことをしようと思って、⼀週間分の料理を作り置いて、⾃分もその料理を職場に持っていって⾷べるんです。家族と同じ物を⾷べていたらそれだけで繋がりができますから。あとは周りの協⼒無しにできないので、なるべくいい顔でいるようにしています。(笑)譲っていいことは譲って、 柔軟に対応するように⼼がけています。欲張りでもいいんですが、問題はやり⽅ですね。⾃分の主張ばかりするのではなく、努⼒はもちろん、⼯夫と妥協も⼤事ではないかと思いますね。
―上⼿くいかなかったとき、⾃信を取り戻すにはどうしたらいいですか?
私もうまくいかないとき、イライラしたりくよくよしたりしますよ。でも根気よくこらえるしかないですね。落ち込んでしまうのは仕⽅ないけど、まず取り返しがつかなくなる前にダメージを最⼩限に抑えること、それと最初から保険という形で何か別の選択肢を上⼿くキープしておくことがよいかもしれません。そうしたら、諦めが付きやすいし、次の道に⾏けばいいという安⼼感が得られるから。また、常にポジティブな考えを保つために、何が⼀番⼤事なのか、それだけは⾒失わないように⼼がけています。悔しい涙は流したいだけ流してもかまいません。あとで拭けばいいし、そこから経験や教訓を学べばいいと思います。失敗したとき⽴ち直るすべさえ確保しておけば、失敗を恐れることがなくなります。たとえば、⼼の安らぐ時間や場所、⼈間関係などです。今は実感できなくても、これから⼤⼈になっていく中できっ と分かってくると思います。ぜひ、⽬を開いて探してみてください。
ー最後に総科の学⽣に一言。
皆さんの中には⽂系・理系のどちらかに絞りたくない、欲張りで、まだ⾃分が何をしたいか決められないという思いをもって総科に⼊った⼈がたくさん いると思います。だからこそいろんなことを⾃分で試してほしいです。早く決めすぎると他にできなくなることがあって後悔するかもしれない。皆さんはそういう後悔がしたくないから、総科に⼊ってきたのだろうと思います。それはとても⼤事なことです。早くから⾃分のやりたいことを持っているのはもちろんいいことですが、それだけに視野が狭まって、あるはずの可能性が無くなってしまうかもしれません。⾊々と⾃分のやりたいことの両⽴ができるように融通が利く状態にしておいて時期によってどっちに⼒をいれるかを考えれば良いんです。つまり⾃分の守備範囲を広くもっておくと、どっちの⽅向にも⾏ける。もしどちらかに⾏ってみて失敗しても後悔はしないし、隣の芝⽣が⻘く⾒えることもなくなります。⾃分が体験したことで分かること、⾒えてくることはきっとあると思います。いろいろ試しながら、その経験の中から⾃分のやりたいことを⾒つけてほしいです。
まとめ
植民地時代という、複雑な環境下で書かれた作品を研究すると、当時の人々の暮らしや思いが見えてくるんですね。
文学作品から歴史を学ぶのも、おもしろそうだなと感じました。
それでは今回の記事はここまでです!
次回の更新もお楽しみに!