音声の物理的、心理的側面の関わり[人間探究領域 山根典子先生]

こんにちは!

今回は、飛翔97号の記事からです。

今回紹介するのは、総合科学科 人間探究領域 言語コミュニケーション授業科目群 山根典子先生です。

山根先生は、主に音声学・音韻論について研究しておられます。

さっそく、研究内容からみていきましょう!

人間が言語を習得できるのはなぜだろう

ー先生の研究内容について教えてください。

 私の専門分野は、音声学、音韻論という分野です。英語では、“Phonetics and phonology”と言います。この二つは何が違うのかよく聞かれるのですが、人によって定義は違います。同じだと言う人もいますが,ざっくりと分けることができるとしたら音声学は人の話す音の生成や知覚の物理的な側面を分析する分野です。声はさまざまな音響特徴となって現れるので、客観的に観察したり計測することが可能です。地域差、年代差、男女差、個人差などを機械を使って量的に分析することもできます。また口や舌や喉といった調音の特徴を,物理的な運動として測定します。

 それに対して音韻論というのは頭の中でどのように音が聞こえるか、どのような音だと思っているか,つまり心理的な音を体系的に説明しようとする理論です。例えば日本語と英語を比べた時に、子音や母音の数も種類も違うし、音の配列の仕方も違う。こういう違いから何が起こるかというと,音声の聞き方が母語によって違ってきます。例えば、クリスマスと言う音を,日本人に音が何個あると思いますか,と聞くと、大抵は「ク・リ・ス・マ・ス」という風に5つだと答えます。英語圏の人に同じ質問をすると、2つだと答えます。「Christ・mas」音節で切ると言いますね。これは頭の中で,音を数える単位が母語話者によって違うからなんです。

 元々私は音の構造が言語間でどう違っていてどう変化するのかということに興味があったので音韻論から入ったんですが、音って人によって聞こえ方が違いますから音声学もやらなきゃダメだと思ったんです。例えば、私達が「ば・ば・ば・ば」って言ったら全部同じ音に聞こえるかもしれませんが、実はスペクトログラムで見ると全部違う音です。一つとして同じ音はない。話し手の心理や健康状態によっても違いますし,ある言語話者には聞こえない音が,他の言語話者に容易に聞き取れる音もあります。そういった多様性がどこまで許されるのか、言語間でどのように違い,どう聞こえるのか?そういったことも勉強したいなと思い,音声学と音韻論を股にかけています。

 音声学をやると量的な数値を扱うので、実験も統計もやらないといけないし、機械とかにも強くならないといけないので学ぶことが多くて面白いですよ。私も日々進化してるんだなって実感できる。といっても,優秀な学生さんたちのエネルギーや器用さにかなり助けられています(笑)。チームでやっていけるところが好きです。

 アルトラサウンドで声を録音しつつ舌の動きを録画

―山根先生は大学生の頃、板書は全て英語で取っていて、教授の先生に驚かれた。というエピソードを以前お聞きして面白いなと思ったのですが、そのような先生の人となりがわかるエピソードがあれば教えて頂きたいです。

 私は昔から外国に憧れがありました。私の祖母には七人の兄弟がいて第一次世界大戦後、祖母以外の六人の兄弟はアメリカに移民として渡ったんです。それで、もし祖母も一緒にアメリカに渡っていたら、私も英語だけを話すアメリカ人として生きていたのかもしれない。それが不思議だなと思ってたんです。

 小学校五,六年生になって英語を習い始めた時に、テレビで海外の子供たちが英語、ドイツ語、色んな国の言語を流暢に話しているのを見ました。それを見て、自分は苦労しているのにどうして自分よりも幼い子供たちが,こんなにも流暢に色々な言語を話しているのだろうと不思議に思いました。その時に,人は遺伝や人種には全く関係なく、そこの土地に若い時から居れば、その土地のどんな言語でも喋れるようになることに気づいて,人間の言語習得能力に興味を持ち始めました。中学3年生くらいには、将来は英語を使った仕事がしたいと思うようになって、毎日少し英語で日記を書くことにしました。習った文法や表現を何とかそこに入れて、自分のものにして覚えるみたいな感じで日記を自分の学習の糧にしていました。創造的な楽しいプロセスだと思うんですが,書いている間にピッタリした言葉が見つからないとか、そういったフラストレーションから学べることがありました。また、自分の感情を書き出すことによって自分を理解したり開放したり、自分との対話ですかね。そういうところが面白かったですね。

 そして大学二年生の頃に二番目の新たな波が来たんです。言語学入門の授業を取った時です。人間には生得的に言語を習得できる能力が遺伝子的に組み込まれているものである、という仮説を堂々と明言している学問があることを知ったんです。つまり、鳥が一定の期間に羽が生えてきて、飛べるようになるように、人間も言語をきちんと教えられもしないのに、すごく短期間で言語が喋れるようになるということです。なるほどと腑に落ちたし,ことばに関する素朴な疑問に対して仮説を立てて,それを検証する方法や理論があるのか,と。私が求めていたのはこれだ!という感じがしましたね。それからその理論を提唱した、当時MITで教鞭をとっていた言語学者ノームチョムスキーの生成文法に興味を持つようになりました。大学の先生のお誘いもあって、三年生のときには運よくチョムスキーとお話をする機会にも恵まれ,鋭敏でかつ穏やかなお人柄にも触れ,腕を組んで写真をとっていただいたりと,その理論を身近に感じ始めました。生成文法には,音声の普遍的な特徴を解明しようとする生成音韻論という学派もあり迷わずそちらの勉強をすることにしました。ちょうど私が日本の大学院へ進んだ頃は音韻論の発展期でもあり,様々な音韻理論に触れつつ,抽象的な思考法の訓練を受けたことは今も研究の土台になっています。

―先生は海外で学ばれた経験があるとお聞きしたのですが、海外で学ばれた先生が日本の学生に求めることはなんですか。

 カナダから日本に帰ってきた時に耳が急に悪くなったかなと思うくらい日本の学生の声が全く聞こえないと痛感しました。英語で会話させたり、質問をしたりするとき本当に聞こえなくて、もう少し大きい声でしゃべるようにと指示するとさらに小さくなるので本当に苦労しました。だからまず私が日本の学生に求めるのはもう少し大きい声で喋るようにということですね(笑)。

 そして、大学は一緒に学ぶ場だということを知って欲しいですね。先生の言うことが100%正しいというわけではないです。私を含め学者というのは学ぶのが好きで学者になっているわけですから今もまだ学びの途中で、同志である学生から教わることだってたくさんあります。だから全部教えてもらわなければいけないとか、そういった固定観念は持たないで欲しいですし、皆さんとの相互作用で知を開拓するというイメージを持っています。もちろん専門分野はやはり長年の知識などもあるので、その分野の歴史や背景や文化を伺うのは先生の方が良いこともあるでしょう。ですが、少し外れた分野であるとか、これから作っていく未来の分野はやはり若者のアイディアにかかってると思うんですよね。だから受容の発想でなくて、もっと自由に、自分の考えを発信して先生たちの知識や技術とすり合わせて、何か新しいものができないかなあという発想でインタラクトしていくと面白いのではないかと思います。

 それから様々な人と交わる機会を積極的に持った方が面白いと思います。私はUBCに行った当時、最初は英語があまりできなかったんですが、向こうには日本語を学びたい学部生がよくチューターを募集していたので初めはチューターとして教えたり、現地の大学院生と一緒に勉強したり教え合ったり遊んだりとか、そういうことを通して英語を使う機会を増やしました。言語学科で出版している雑誌の編集,学会やイベントの手伝いなど,ボランティアで積極的に関わらせてもらいました。リサーチアシスタント,ティーチングアシスタントもやらせてもらったおかげで世界各国から来た優秀な学生や教員と話す機会にも恵まれました。学校主催の社交ダンスクラブではダンス大会やラテン音楽も堪能しつつ,多様な人種や英語にも触れました。

 向こうの学部生はリソースを使うのが上手で,所属していた分野横断型言語音声研究実験室には「ボランティアで何かやらせてください」と現地の学部生がよく訪ねてきました。そこで私は彼らに実験やデータ処理を手伝ってもらって,その代わりに彼らが大学院へ出願するときに提出する推薦状を書いたりもしました。このように上の人,大学院生や留学生と友達になって交流をすると視野が広がるだけでなく,自分の進むべき次のステップへのヒントや手助けが得られることがあります。自分の勉強や授業で忙しいと思いますが,時間を割く価値はあると思います。あと、私はよく色々な先生に質問をしたり,研究室に話を聞きに行ったりしていました。そうすると学生の特権でただでいろんな話を聞かせてもらえて、学会があるよとか,今度X X先生が来るよ,とかの情報をいただいたり色々な所に連れて行ってってもらって、世界が広がっていったんです。折角の学びの場なので多様な機会を積極的に利用してほしいですね。

―高校生へ向けてメッセージを頂けますか

 総合科学部は様々な分野の先生がいらっしゃり、積極的に分野横断型の研究を促進しています。理系か文系か迷ってる人、あるいはどちらかだけ得意なんだけれど、得意じゃない方をやりたい人も歓迎です。理系が得意だけれども、理系の良さを生かしながら文系にも挑戦したいっていう人が結構いい仕事をしたりするんですね。何か新しいことが学べる学部なので、文理両方が得意である必要はないです。新しい物事に挑戦して、学際的な研究をやりたい、世の中を良くしていくための研究をやりたいという人に来て欲しいです。

―広大生へ向けてメッセージを頂けますか。

 これから世の中を良くしていくためには若い皆さんの力が必要で、皆さんが次世代をリードしていく立場にあるので、積極的に自分の能力や可能性を大事にして欲しいです。 

 1年生の第1、第2学期で何になりたいかまだ決まってない人の方が多いと思いますが、却って可能性が無数にあるという素晴らしい時期にあると思います。いろんな授業に出て、自分の興味がどこにあるのか,どんな問いを追求したいか,考えてみましょう。様々な人と関わりながら自分のアイデンティティーを確立しましょう。自分や相手とも対話するとその中で何かが生まれるかもません。広大にあるリソースも豊富なので、どんどん使ってください。必要なものだと思えばリクエストしてみましょう。私もできるだけ応援したいと思っています。皆さん楽しんで勉強していきましょう。

 みんな生きてるからには幸せになりたいし、世の中を良くしたいって思いますよね。そのためには何ができるか。そんなことをみんなで考えていけるような広大のコミュニティであって欲しいと思います。平和で住みやすいコミュニティができれば住みやすい社会になり、住みやすい社会ができれば住みやすい世界になると信じてます。ですから、皆さん身近なところから楽しんでいただきたいと思います。広大生活を楽しみつつ、良い世界を作るように頑張っていきましょう。